提携墓地

圓珠寺墓苑えんじゅじぼえん

寺院墓地

圓珠寺墓苑えんじゅじぼえん

港区芝一丁目、慶長の昔よりこの地で悠久の歴史を紡ぐ日蓮宗圓珠寺。
このたび新規区画を一般の皆様に初めてご案内する運びとなりました。
都心の一等地という得難い立地環境に、充実の施設を完備しております。
由緒伝統を誇る名刹がお贈りする安らぎの新区画をこの機会にご検討ください。

徳聚山圓珠寺略縁起とくじゅさんえんじゅじりゃくえんぎ

当山は、慶長十七年(1612)に現在の地、芝金杉に創建されました。金杉は、松平家の下屋敷がならぶ海ぞいの町であり、当山は東海道につらなる浜辺の海道にそって建立されました。開山、圓妙院日匠上人は、仏像彫刻の名手である中正院日護上人の弟子です。日護上人は生涯に七千余体の仏像を彫刻し、諸方の寺院に寄せました。日匠上人は日護上人彫刻の釈尊像を本尊として、当山を開かれたと推察されます。このようにして開かれた当山は、多くの人が行きかう場所柄、参詣者も自然と増えていきました。  また、江戸後期には、身延七面山を守護する末法総鎮守七面大明神(天女の姿をした龍神)を奉安し、縁日に開帳・祈祷をおこない、大いに栄えました。
さらに身延山(日蓮宗総本山)からの江戸出開帳(日蓮聖人等の尊像を運んできて開帳する出張形式の法会)もしばしばおこなわれ、多くの民衆をあつめたといいます。
そのころの様子は、葛飾北斎の浮世絵『金杉橋芝浜』等でもしのばれます。
 明治期にはいると、備中高松より最上位経王大菩薩を分体し、中心的な守護神として奉安しました。『最上位経王』とは、最上の教えであり、様々なお経の中の王である法華経をいいます。この法華経を信じ、手を合わせる者を、強く守護し導く神様が最上位経王大菩薩です。最上様は五穀を主宰し、物資を恵み、商法を繁栄させ、財利を施し、家内を安泰にさせ、法華経を信じる者の願いを叶える神様です。明治期には柳原二位の局(大正天皇の生母)をはじめとする皇室女官衆の帰依を受け、戦前戦後も多くの参詣者でにぎわいました。
 現在当山では、毎月十二日に施餓鬼会(檀信徒各家先祖や、有縁無縁の霊魂に、多くの供物をそなえて供養する)、二十六日に最上位経王大菩薩祈祷会(国家安泰、家内安全、商法繁栄、諸願満足等を祈る)をおこなっています。